Home まさる AGIは本当に人間を代替できないのか?―ケヴィン・ケリー氏の議論を再考する

AGIは本当に人間を代替できないのか?―ケヴィン・ケリー氏の議論を再考する

シリコンバレーの思想家ケヴィン・ケリー氏は、著書の中で「AGI(汎用人工知能)は永遠に人間を代替することはできない」と述べています。これは一見もっともらしく聞こえる主張ですが、私たちはその前提に大きな疑問を感じています。最大の疑問は、私たち人間はまだ自分自身を十分に理解できていないのに、なぜ人間が作り出したAIが人間を越えられないと断言できるのかという点です。感情や意識、創造力といった人間の本質的な特性は、科学的にいまだ解明されていません。曖昧なままの人間像を根拠に「AIは人間を超えない」と言うことには、大きな飛躍があるのではないでしょうか。

ケリー氏は「人間は感情や共感を持ち、AIはそれを持たない」と指摘します。しかし、感情そのものが何なのか、科学的にまだ明確には定義されていません。
研究によれば、人間の意思決定や行動の 90〜95%は無意識的に感情に影響されている(スタンフォード大学)、また 約70%が感情に基づき、30%が理性に基づく(Gallup調査)とされています。

つまり、人間の判断の大部分は感情に依存していますが、その感情の本質を解明できていない以上、「感情があるからAIには到達できない」という議論は説得力に欠けます。

「人間は無から新しい発想を生み出せる」という指摘もありますが、実際には人間の創造力も環境や経験の組み合わせから生まれています。
そうであれば、AIが既存データを組み合わせて新しい成果物を生成するのと大きな違いはありません。人間の創造力を特権化すること自体に疑問を感じます。

ケリー氏は「AIは理解しているように見えるだけで、本当には理解していない」と主張します。
しかし、人間自身も本当に理解しているのかを判定することは困難です。

昔話の「盲人と象」の寓話のように、人間の理解も断片的に過ぎません。AIがさらに進化すれば、人間の理解と区別がつかなくなる可能性は十分あります。ここでも、人間自身をまだ解明できていないのにAIの限界を断言することへの違和感が強まります。

「人間社会や自然の複雑さはAIには捉えきれない」とも言われます。
しかし、人間自身も完全に理解できているわけではありません。誤解や偏見、誤った判断は日常的に起こります。

違いがあるとすれば、人間は何千年もかけて経験を積み重ねてきたのに対し、AIはまだ誕生して間もない「幼児」のような存在だという点だけです。
時間をかけて成長すれば、AIも複雑性をより深く扱えるようになるかもしれません。

ケヴィン・ケリー氏の議論は、人間の特別性を強調するものです。
しかし、私たちが納得できないのは、人間自身がまだ自分をよく理解していないのに、AIが人間を越えられないと断言している点です。

むしろAIの進化は、人間が自分を理解する手助けとなり、人間の限界を映し出す存在になるのではないでしょうか。
人間とAIの関係を「代替か否か」という二分法ではなく、もっと開かれた視点で捉えることが必要だと考えます。